二人は、女子社員に言われた通り、展示板の中から、二DKの図面の束を取り出した。
「どうぞ、カウンターをご利用くださいませ。
ご覧になって、気に入った物件がありましたら、内見できますので、お呼びください」次の行動の展開を予想して、密着した接客をしながら、押しつけとならないように、K嬢は、いったん机で待機した。
軽い仕事をしながら、次にそなえるのである。
目と耳の発達した若い層ほど余計な干渉を嫌う。
だから、できるだけ間取り図を並べて、自由に選ばせた方が良いのである。
次にK嬢が立ち上がるのは、三分足らずの時である。
二分では早すぎ、三分では遅すぎる。
お客様が五つの図面を見るのに、二分二十秒は必要である。
「どうでした?何か気に入った物件は、ございましたか?」やさしい眼をしながら、まずは相手の状況を調べる。
「これだ。
外に貼ってあった物件だよ」「これって、安いけど、中はきれいかしら」お客様は、遠慮がちにたずねる。
「サニーハイツですね。
中は、きれいよ。
二室とも和室となっております」「和室か。
一室は、洋間が欲しいわね。
でも、駅から近いし、いいですね」「はい。
この当時は、台所に給湯ナシが多かったの。
これも、そうです。
安いのは、多少設備がおちているからです」「なるほどね。
じゃ、二階の真ん中だけど、パークハイツはどうかしら。
台所から両室に行けるわ。
これも、七万円でしょ?」「それに、礼金ゼロだよ」「お勧め物件です。
給湯もあるし、シャワーもあるわ。
ぜひ内見された方がいいわ」二人は、更にくまなく探したが、ようやく三件ほど選び出した。
「それではですね。
このアンケート票に、ご記入願えますか。
ご希望とか、入居日とか、マルをつけていただくだけですけど。
それから、参考までに、ご職業と氏名と電話番号をご記入ください。
ご記入いただく間に、カギを用意して、内見の準備をしますから」「職業も、書くのですか?」「ええ、帰宅時間を知りたいの。
夜に働いていて、昼寝る人がいると、生活のリズムが合わなくなるでしょ」K嬢は、お客様の前に、記入票と鉛筆をおいた。
男は、女の方に押しやり、女の方が記入をはじめた。
たいていの場合は、女性の方が積極的で、まじめに対応する。
「すみません、会社の住所は忘れたけど、書かなくていいですか?」最近の傾向なのだが、若い人の中に自分の勤務先の住所をちゃんといえない人が実に多いのだ。
それも何年も勤めていても覚えていない人がいる。
僕などには信じられない話である。
「ええ、わかる範囲で、結構よ。
それから、お客様。
物件を見るのにわかりにくいでしょうから、私がご案内いたしましょうか。
それとも、お二人で見てきますか?」「この辺は、不案内です。
できたら、一緒に行ってほしいのですけど」「じゃ、歩きですか、車できましたか?」「車です。
すぐそこに止めていますけど」「それでは一緒に乗せていただいて、よろしいですか。
すみませんけど」「いいですとも。
じゃ、車をここへ持ってきますから」車も、小型で古いから、安心である。
高級車に乗ってくる者に、ロクな奴がいない。
外車に乗って、服装がきちんとしているのは、あやしい職業の人が多い。
普通の人なら地味に生きていくものだ。
少なくとも、まじめな日本人は、見栄をはらない。
そんな人ならだまっていても、まじめに家賃を払う。
約束を守る。
それも、おとなしく、である。
こんな美徳は、日本人独特のものであろう。
サニーハイツでは、二人はちょっと迷ったようだった。
「ほんとに、駅から近いわ。
広さも充分よ。
押し入れも二カ所あって、いいわね。
和室二つだから、一室にカーペットを敷いて。
ねえ、どう、あなた?」「うん、洗面所も大きいし、続きの二間は広く見えるね。
風呂もきれいだし。
Sちゃんが気に入れば、かまわないよ」「給湯は、台所に瞬間湯沸器をつければ、大丈夫よ。
皿の油とりには必要だけど、夏場は必要なK嬢が案内して、最初にセブンハイッを見せると、二人はそそくさと、帰りはじめた。
「二○一号は、角部屋だな。
南向きで、陽当たりもいいや」二人の会話をそばで聞いていて、どうやらサニーハイツを気に入ってくれたようだ、とK嬢は考えた。
問題は、次のパークハイツである。
これより新しいし、給湯もあるから、もっと気に入るはずである。
そうしたら、二人は迷ってしまうだろう。
当社としては、サニーハイツに決めてもらいたい。
長く空いているし、家主さんも月二回以上顔を出すので、空いていてはバツが悪い。
サニーハイツを勧めたいのだが、おそらくパークハイツに決めるに違いない。
でも、お客様の判断しだいだ。
好みもあるし、自分達の生活の選択の問題だ。
どちらでも良いというなら、その時はサニーハイツを決めればいい。
彼女は、成り行きにまかせることにした。
二人が室を出るとき、女性が靴の向きをそろえ直し、スリッパを集めてK嬢に手渡した。
「どうもすみません」と言いながら、K嬢はブレーカーを切り、室のカギを締めた。
礼儀正しい人だな、と彼女は思った。
パークハイツの二○二号を案内すると、案の定、お客様は一番気に入ってしまった。
洗面台も、立派で新しい。
「内装も、若向きで、オシャレだわ。
クッションフロアの柄も明るいし、これ、見て。
室のビニールクロスも、深みがあるわ」「使い勝手の良い室だね。
向きは、どうかな。
南なの、東なの?」「ええ、やや東向きです。
そのかわり、台所には、西陽が当たりますけど」「西陽は、大丈夫よ。
冷蔵庫に入れとくわ。
そうか、真ん中か。
でも、二階だからね。
南向きで、二階の角というのは、ないかしら?」「ちょっとね。
そういうのは、少ないし、あっても高くなるのです」「そうよねえ。
全て希望通り、というのは、ないのよねえ。
新築で選ぶなら別だけど。
家賃は、七万円ですね。
それと千円の共益費」「はい。
礼金が一カ月分でございます。
サニーの方は、礼金ゼロですけど」「そうか、それもあるなぁ。
入る時の出費が違うのだな。
出る金は、少ない方がいいか」「どちらがいいか、迷ってしまうでしょ。
それでは、いったん事務所に一戻りましょうか。
図面を見ながら、ゆっくり比較されては、いかがですか?」K嬢は、そううながして、外へ出た。
二人は、念入りにドアのカギの位置を確かめ、外をまわって窓の位置まで確かめた。
駐車場は隣の砂利敷きになると説明すると、「安いからいいわ。
草取りは、してくれるのでしょ」と、満足そうであった。
少なくとも、K蛾は、お客様の二人を、識別心得で考えた。
わが社には、「お客様識別心得」というのがある。
どこの不動産屋にもある一般的なものだが、これをわかり易く列挙すると、次の通りになる。
まじめにコッコッ生活することが望ましく、人間としての基本である。
アパマンも同じで、まじめな人は問題も少ない。
たとえトラブルが発生しても、容易にわかってもらえる。
偏屈な宗教入信者や、チンピラ、右翼、左翼でないこと。
最近のような○○学会、○○真理教の入居者は、排他的で扱いにくい。
右翼、左翼もテロリストが多く、危ない。
チンピラは法を守らないし、勝手な規律があるので除外。
彼等の見分けは、頭髪や指輪やバンドマークで判断。
自分が他人様のものを借りている、という認識が必要である。
そうすれば、感謝の心も生まれる。
感謝する心があれば、滞納しない。
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